高市早苗の若い頃の職業はキャスターだった!
高市早苗さんは、1961年に奈良県で生まれ、1992年31歳(誕生日前は30歳)の時に、政権に挑戦しています。
政治家としての印象が強い高市早苗さんですが、若い頃にはテレビのキャスターとして活動していました。
当時の映像を見ると進行が落ち着いていて、声の通りが良いので「こんな時代があったんだ!」と驚く人もいるのではないでしょうか。
今回は、高市早苗さんの若い頃であるキャスター時代の代表番組、話し方の特徴をQ&A8問でまとめました。
昔の恋愛や結婚エピソードも紹介していきます!
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Q1. 高市早苗のキャスター時代はいつ頃?
高市早苗さんのキャスター自体は、1989年から1990年代頃までです。
フジテレビの朝番組『朝だ!どうなる』では、1990年11月5日〜1991年3月29日にキャスターとして高市早苗さんの名前が掲載されています。
参考:Wikipedia:フジテレビ『朝だ!どうなる』:(最終閲覧日:2025年10月17日)
高市早苗さんは、1989年ごろにテレビ朝日で深夜帯の番組に関わり、1990年11月からはフジテレビ『朝だ!どうなる』にキャスターとして出演しました。
『朝だ!どうなる』は1991年3月29日まで朝帯で生放送されていたそうですよ。
高市早苗さんは政権に挑戦する1992年ギリギリまで、キャスター業を続けていたんですね。
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Q2. 高市早苗の若い頃の代表的な出演番組は?
高市早苗さんの若い頃の代表番組としてあげられるのは、フジテレビ『朝だ!どうなる』と、テレビ朝日系『こだわりTV PRE☆STAGE(プレステージ)』です。
PRE☆STAGEは現在参議院議員の蓮舫さんとともに担当した時期もあります。
「朝だ!どうなる」はストレートニュース中心の構成で、短期間ながら朝の情報番組として放送され、キャスターには高市早苗さんのほかに、小俣雅子さん、石井苗子さんらが起用されています。
YouTubeにフジテレビ『朝だ!どうなる』で話す高市早苗さんの貴重な映像がアップされていました。
出典:YouTube:フジテレビ『朝だ!どうなる』高市早苗 キャスター時代 スーパーファミコン発売【1990年】@らんらん:(最終閲覧日:2025年10月17日)
キャスター時代も、現在と変わらず忖度なく受け答えしている反面、今よりものんびりとした口調で話されていますね。
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PRE☆STAGEでは、蓮舫さんとともに担当した時期があったと紹介されることがあり、ニュース系とトーク系の両フィールドで経験を積んでいたことがわかります。
参考:NEWSポストセブン:高市早苗氏が30年前、立民・蓮舫氏と並んでテレビ司会をしていた過去:(最終閲覧日:2025年10月17日)
高市早苗さんの、若い頃から多様な現場に触れていた点が、のちの発信スタイルを理解するヒントになっていたのかもしれませんね。
Q3. 高市早苗の大学~キャスター時代前のエピソード
高市早苗さんのキャスター時代を紹介してきましたが、キャスターになる前はどのように過ごされていたのでしょうか。
高市早苗さんの大学時代~キャスター時代は
- 学生時代は軽音部でドラムを打ち込む
- 松下政経塾の第5期生として入塾
- 米連邦議会でフェロー(スタッフ)を経験
- 教員を経てテレビの現場へ
といった経歴があります。
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高市早苗は学生時代ドラムに打ち込んでいた!
若い頃の高市早苗さんは、軽音楽部でドラムに打ち込んでいました。
学生時代から軽音楽部でドラムに打ち込み、ハードロックやヘヴィメタルが好きだったというエピソードを、高市早苗さん本人が語ったこともあるようです。
近年のラジオ出演でもメタル愛を自分の言葉で語り、小学生でブラック・サバス、中学生でディープ・パープルと、年代ごとの聴歴に触れています。
呼称ネタとして「サナメタル」といじられる場面もあり、にわかではないガチめの知識量が話題になりました。
「中学校ぐらいになったらですね、今度はディープ・パープルが出てきて」と懐かしんだ。当時、キーボードで初バンドに参加。高校生になると“向かいのお姉ちゃん”から「パーカッションを手伝ってくれ」と言われ、ドラムを叩くようになったという。
出典:ORICONNEWS:高市早苗氏、メタルロック語る 小学生でブラック・サバス聴き…大学時代のバンド名も明かす BABYMETALラジオ出演:(最終閲覧日:2025年10月22日)
メタル好きのドラマーという一面があって、テンポや間の取り方に敏感なタイプだったのでしょうか。
ヘビメタ以外にも、野球や武道の観戦が趣味とされていて、親近感がわきますね!
参考:スポニチ:“ヘビメタ新総裁” 政界の“ガラスの天井”破った高市氏はどんな人? バンド、オートバイ、阪神ファン…:(最終閲覧日:2025年10月22日)
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高市早苗は松下政経塾に入っていた
高市早苗さんは神戸大学を卒業した1984年に松下政経塾の第5期生として入塾しています。
公式プロフィールや、塾の卒塾生一覧でも第5期生として掲載されていて、ここが政治を志す入り口になりました。
高市早苗さん本人も、価値観や行動規範を鍛えた時期として位置づけているようです。
米連邦議会でフェロー(スタッフ)を経験
松下政経塾の学びを土台にして、高市早苗さんは米連邦議会のオフィスでフェロー(スタッフ)として働いています。
公式プロフィールに「米国連邦議会 Congressional Fellow」と記載されていました。
参照:自由民主党 奈良県第2選挙区支部 支部長:(最終閲覧日:2025年10月22日)
米下院のパトリシア・シュローダー議員事務所に配属先されていたという説明もあります。
1986年ごろから米議会スタッフとして勤務し、1989年に帰国、教員を経て民放キャスターとなったようです。
要点を先に置いて短く伝えるアメリカ式のコミュニケーションに触れて、「結論→根拠→行動」は、現在の会見やインタビューでも自然にでていると感じますね。
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教員を経てテレビの現場へ
帰国後の高市早苗さんは、教員の仕事を挟みつつテレビのキャスターに挑戦しています。
専任教員(国際経営論助手)という肩書きが公式の経歴に載っていました。
参考:首相官邸:高市早苗:(最終閲覧日:2025年10月22日)
日本の大学で「助手」は、講義やゼミの運営サポートや資料作成、教員の研究補助等々を担うのが一般的です。
テンポよく進めていた可能性が高いと感じますね。



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